親指シフトは入力方式じゃなくて出力方式?通算4年半の親指シフトをローマ字入力と比較測定

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それから4年と2か月、今では完全な親指シフトユーザーです。

このような経緯を経て私の親指シフト経験は通算でおよそ4年半。
その間に入力がどれだけ早くなったのかを測定することにしました。

7年ぶりの測定に使った環境は「タイプウェルFT」です。

下の画像は

2014年の入力速度

約7年前、親指シフトを開始して約3か月時点の当時のスコアです。

このときは親指シフト環境に完全移行して2か月たち、少しローマ字入力の速度が落ち始めた時期でした。

画像内のオレンジのラインが引いてある1位のスコアは当時のローマ字入力の結果で、その他のスコアは当時の親指シフトのものです。
この時期はまだローマ字入力の方が速かったですね。

この過去のローマ字入力と今の親指シフトの早さを比べる、という主旨です。

このブログに投稿する記事の長さを過去と比べても明らかですが、長い文章を入力するストレスは大幅に軽減されてます。
しかしスピードは果たして…
アラフィフの7年は、身体能力と視力などに衰えが生ずるはずの期間です。
衰えた結果最近では、

もしかしたら自分でも気づきかないうちにスローにしか打てなくなってて、逆に遅くなっている可能性も?

ということを予想しました。

再びタイプウェルFTをインストールして、3度試しました。

その結果は、

7年前のローマ字入力スコアより若干向上していました。

ただし比較対象とした前回のローマ字入力の測定結果は、上記の通り親指シフトに専念して2か月後のものなので、このころのローマ字入力は

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親指シフトを始める前の速度と比べて約80%ほどに落ちてたことを加味する必要があります。

もし親指シフト練習前のローマ字入力と比較しようとするのなら、80%落ちのローマ字入力スコアを逆算して25%増しにして比べるのが、入力方式の単純比較をするにはフェアだと思います。

このことを加味すると、前回のローマ字入力の測定結果を親指シフト練習前水準に補正をかけたCPMは84→105。SCRは241→301。
この補正の結果、

今の親指シフトの速度は7年前のローマ字入力の速度とほぼ同じ

と言えます。

身体能力と視力などに衰えが生じ遅くなっていることも予想してましたので、今回のほぼ同じ速度という結果は私にとって大変うれしいことです。
親指シフトがもたらす「ストレスなく入力出来てること」が「もしかして衰えてしまったので精進が足りないから」なのではない、ということがわかったからです。

  • スピードを同等に維持できていること
  • ストレスなく入力できていること

コロナ禍でリモート環境での仕事が増えたことにより、特にリアルタイムのチャットをする機会が激増しました。
リアタイのチャットでは、てにおはや主語省略などの推敲はもちろん、表現に技巧をこらしたりして解像度を上げ、どれだけ正確に意図をくみ取ってもらえる表現が可能かが重要です。

特にこのような経済環境の激変期では、既存の価値観の延長線上にはない新しい概念を提唱・声明する機会が増えています。
このようなときには、自分の頭にしか存しないイメージをわかってもらいやすいよう、可能な限り既存の概念に置き換えて表せるメタファーのチョイスなど、多くの引き出しを用意しておき且つその中から正しいものを選択する、という臨機応変さも求められます。

自分は親指シフトを採用したおかげで、このような臨機応変な文章構成に脳内リソースを集中できるようになりました。

それではなぜ自分の場合はローマ字入力だと脳内リソースを食い、親指シフトだとバッファが増えるのでしょうか?

伝えたいことのイメージからアウトプットまでのプロセスを「行動の基本原則」で捉えてみる

  1. 「認知」頭の中に話したいことのイメージが湧く
  2. 「判断」浮かんだイメージを声明するメッセージを決め、言語化する
  3. 「行動」言語化したメッセージを入力や発声でアウトプットする

のうち、2番目の「イメージを声明するメッセージを決める」という判断プロセスが、自分の場合は親指シフトのおかげでとくに軽減されている実感があります。

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しかし、なぜ判断領域が楽になっているのか本音を言えば未だによくわかりません。
また、

ローマ字入力もたまたま押下するキーがローマ字と一致するだけであって「2つのキーを押下して一文字の入力とする」という動作は親指シフトと同じだから結局は慣れの問題

という主旨の意見を目にします。
自分もその意見に同意します。
実際自分も「(ローマ字入力だと一回押下ですむ)あいうえお」だけはいまだにローマ字入力の方が速いはずです。

余談ですが、親指シフトのキー配列を決める際に「あいうえお」だけはQWERTYのAIUEOに合わせてほしかった、といまだに思うことがあります。
もちろん「濁点がある仮名が1回押下になるのを優先」などその他の入力効率を考えてこの配列にしたからですが。
「かきくけこ」「さしすせそ」「はひふへほ」など濁点有仮名の清音は逆に親指シフトが速いです。

たとえばkeなど2つのキーを要する入力の際に、わずかにその2つのキー入力タイミングをずらすだけで、そのタイミングのずれはほぼ同時に近くても「け」は出力できます。
たまたまその2つのキーがkとeなだけで、ほぼ同時に2つのキーを押して一文字を出力する様子は、親指シフトと同じだと思います。

でもそのはずなのに、4年半たった今の自分の場合、間違いなく「判断領域」言語化プロセスで親指シフトが過去と比べて楽なんです。

自分にはそのローマ字入力のキーをアルファベットから切り離し親指シフトのように捉えることが出来ない

たとえば、ki,mu,nu,yu,de,zaのような母音と子音が同じ割当ての指で押す文字を打つ時には、連続して同じ指で2つのキーを順番に押さなければなりません。
この母音と子音が同じ割当ての指で押す文字を、親指シフトに近いタイミングで入力しようとするなら、どちらか一方を別の指に割当てしない限り、その2つのキーをほぼ同時タイミングで押すことは自分には困難でした(yuだけは左手を使って何とかしました)。

この器用さに欠けた自分にはどうしてもローマ字入力のキーをアルファベットから切り離して考えられなかったことが、どうも脳内のリソースを食ってしまったようでした。
いまだにAIUEOは親指シフトのほうがローマ字入力よりも遅いぐらい25年ローマ字入力してても、そんな器用なことはできなかった程度で、自分にはローマ字入力が合わなかったんだろうと思います。

以下は学生時代にローマ字入力を始めてから受験した資格です。

このようにあれこれ考えてたら「入力方式」という言葉がゲシュタルト崩壊してきました。

「伝えたいことのイメージからアウトプットまでを行動の基本原則で考えてみる」なんてことを自分で言ってしまいましたが、

自分で言っといてなんだけど、そもそも「言語化したメッセージを入力や発声でアウトプットする」って矛盾してね?

両者の差は「主体がPCか自分かのどっちか」てだけにすぎないはずです。
しかし

自己ゲシュタルト療法で気づいた「親指シフトは入力方式というより出力方式」

すでに自分もスマホやタブではかなりの割合で音声入力を使ってます。
この「音声入力」も、「発声までの自分のなかのプロセス」としてとらえると「出力方式」です。

はっきりと説明し切れないのがもどかしいのですが、自分を主体とする場合に

  1. 「認知」頭の中に話したいことのイメージが湧く
  2. 「判断」浮かんだイメージを声明するメッセージを決め、言語化する
  3. 「行動」言語化したメッセージを入力や発声でアウトプットする

のうち自分の場合、「行動」領域のまえの「判断」領域に、ローマ字入力はなにかもう一つ別のプロセスがくっついてるような気がするんです。
その正体が何か説明できないのは自分の限界です。

上記のタイプウェルでの入力のように、既に言語化されているメッセージをその通り打つのは「行動」領域です。
「なんという文字を打とうかな?」と判断する必要がありません。
この「行動」領域だけを比較したら、確かにローマ字「入力」と親指シフト「入力」の速さには大きな差はありませんでした。

既に用意されている文書を入力するだけなら、親指シフトはそんなにオポはないかもということは、昔に両方の入力方法を併用していた練習時期にも仮説を立てて一度考察したことがあります。

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何が言いたいかというと、「認知」「判断」領域の思考を要しないような与えられた文書をなぞるだけの速度比較だけでは「行動領域」でのパフォーマンス比較にしかならない。
つまりそれだけでは「認知」「判断」領域にストロングポイントをもつ親指シフトのベネフィットは説明できないのではないか、ということです。

「自分が良いと思ったことは論理的に証明しがたいものだった」で終えてしまうことは、説明を放棄してしまうようで忍びないですが、「行動領域」の前段階である、イメージが浮かぶ「認知領域」、イメージを言語化する「判断領域」に踏み込んで入力方式を比較することは困難です。
なぜなら一度頭に浮かんでしまったイメージは、言語化してしまえばそのことを忘れていない限り次に同じイメージを言語化して出力する場合には既にこの「認知」「判断」という2つのプロセスは脳内で終了した結果まで既に自分が記憶してるから、同じプロセスをまた最初から踏むことは出来ないからです。

自分の個人的な結論は、

  • 私はこの「判断領域」に親指シフトの魅力を感じていること、
  • さらにその「判断領域」の向上が「認知領域」を広げる(私は「解像度が高い」と表現します)という相乗効果も感じていること、
  • 一方で残念なことにこの上記2点は今のところ自分の内的な主観に過ぎず、比較証明できない自分の限界

行動の基本原則まで持ち出した理由は、別に難しい表現で煙に巻くという意図ではありません。
メタファーがざっくり過ぎるのを恐れず英語に例えて言うと、自分が大事にしてることは「英語をどれだけネイティブに話せるか」よりも「どれだけ込み入った内容でその外国人と意思疎通したいか」というようなことです。

もともと人はそれぞれ違う世界を生きています。
もしかすると同じ世界というものはただの幻想かもしれない、という考え方さえあります。
この見方がだいじになる局面も大いにあります。

それでも、違うものや考え方に触れることで自分がインスパイアされたり、または一見相反する2つの考えを互いにぶつけあった結果実はその先に新しいものがあったことを共に発見したり、ということに喜びを感じたり共感する価値観は、多くのひとが持っていると思います。

チームで描く絵の解像度上げのための相互作用に役立っている

上で「英語」というざっくりメタファーで説明したイメージを具体的に表現するにあたり

http://shimpeimiura.tokyo/2018/10/19/%E3%82%82%E3%81%A4%E3%82%8C%E5%90%88%E3%81%84%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%89%B5%E9%80%A0%E6%80%A7-krebs-cycle-of-creativity/

自分が目ウロコになった知見を貼っておきます。

上記のリンクで目ウロコだった点は、“Art”、”Design”、”Engineering”、”Science”という、一見相反するようなこの4つの関係性を、一つの図というか概念で表した、ということです。

このページを発見したことで、

  • 自分やチームの個性や強み・弱み、
  • あるいは現在の立ち位置や役割がどこなのか
  • また今後自分はどのような個性の人とアライアンスを組んだり、
  • 自分自身がどの方向に向かう・あるいは働きかけると良いのか、

という視点が得られました。

自分に置き換えて具体例を挙げても抽象的で恐縮ですが

  • 自分はおそらくこの図の4象限のうち下の2つ”Design”、”Engineering”が得意だけど、周りから求められている役割りは上の2つの“Art”、”Science”なので、これまで徐々に自分の軸足を上に移してきた。
  • ”Design”、”Engineering”を担当する周りの人に対して働きかけるために、今後解像度の高いナレッジの共有を働きかけていく
  • そして自分と周囲は共にまだ“Art”と”Science”、そして”Design”と”Engineering”の両者をうまく切り分けできていないので、今後両者を切り分けるために自分は“Art”に軸足を移す。

ていう感じです。

上記のページでいうこの「他象限への働きかけ」。
私の環境でその手段とは「それぞれの絵を高い解像度でお互い見せあって共有し重ね、一枚の解像度の高い絵にすること」と思っています。

今の行動で具体的な一端を表すと、親指シフトでリモートのチャット入力することにより、チーム内での解像度向上に繋がっている因果関係にその実感を得ています。
これは上記ページの”Engineering”と”Design”を担当する他象限への「働きかけ」にあたるのではないかと考えています。

親指シフトはこれまでもクリエイティビティなかたに好まれていたというこれまでの傾向も、もともと表現者である彼らは必然「他象限への働きかけ」が使命だったからではないかと思っています。

検索するだけで何でもわかるようになったこの時代、専門性に特化するだけではなく相互作用を働かせることがより重要になっています。
これはこれまでクリエイティビティ層だけが持っていた「他象限への働きかけ」という使命は、今後はそれぞれに求められるようになると推察されます。

最後になりますが、ここまで書いてきたことはあくまで「自分がやってきたこと」であって、誰にもおすすめできるということではありません。
人には個性があり、たまたま自分には親指シフトが合っていた、ということを伝えたいだけです。
誰にでも当てはまるというわけではなく、「自分の場合は50をまたいだ親指シフトへのチャレンジだったけど、想像もし得なかった素晴らしい効果がありましたよ」と紹介してるだけです。

特に親指シフトの訓練なんて、さっきは英語に例えましたが語学を一つやるぐらいのヘビーなチャレンジ精神が必要ですから、他のチャレンジとの比較を充分に検討してからご判断されることをお奨めします。
ここまでの駄文ご容赦下さると幸いです。
ご覧になる皆様の捨て石として役に立てればと存じ、今は自分の行き詰まりを晒して投稿を〆ます。

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