禁煙

脱煙40ヶ月を超えました。

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先日、脱煙40ヶ月を超えました。
もはや煙草のことなど普段は全く関心なく他人事なんですが、わざわざ「40ヶ月」というあまり一般的ではない期間の捉え方をして投稿したくなるほど、最近過去の禁煙を思い出すいくつかのきっかけがありました。

煙草を思い出したきっかけの一つは健康診断です。

ちょうど健康診断がありました。
事前の問診票ではもちろん「吸ってない」をマークしました。
健康診断で測定した体重は2年前の投稿と同じ82kgですが、実は1年半ほど前には73kgまで落ちていました。
なぜそこまで落ちたかというとこちらの記事に書いてある内容が原因なので、ダイエットが成功したからではありません。

二つ目は、このブログにもらったコメントです。

健康診断でこのブログを思い出したので久しぶりにログインしたら、当ブログにコメントをいただいていることに気づきました。
コメントにご返事をするため、1年半ほど前に見つけ、参考にした「喜びに包まれる禁煙法」を久しぶりに読み直しました。
確か以前は違ったタイトルだったという記憶がありましたので、作者が「喜び」にフォーカスする意図を感じました。
この「喜びに包まれる禁煙法」、私にとって禁煙2年ごろに見つけて読み、今に至るまで禁煙を継続できている最大のバイブルになっています。
すべて身になっているそのなかで当時唯一ピンと来なかった点は、なぜ煙草を憎悪するのではなく愛しつつ止めるのか、ということでした。
私は禁煙開始時、煙草を徹底的に否定することで禁煙に成功しました。否定しきっておかないと、たばこの望郷の念に勝てないだろう自分の弱さを感じていたからです。

最初に「喜びに包まれる禁煙法」を読んでから、その後のおよそ1年半、大変な問題を仲間と一緒に片づけるうちに、見えてくるものが生まれてきました。
苛酷な環境の中で払った自己犠牲には自己否定を伴わざるを得ませんでしたが、それは外部環境がひどかったからなので自己に起因しないから、自分の置かれてる環境が苛酷だということさえ受け入れられれば、もはや自己否定する必要はないのでは?
それから少しずつ環境が良くなってきて、今に至ります。
これは自分もしかして一つ成長できたのかも?

改めて今「喜びに包まれる禁煙法」を読み返してみると、成長には、過去を否定するのではなく、受け入れることが大事だということでは?と思えるようになりました。

三つめは、日常業務で脳のことを考えたからです。

この1年で業務環境の課題を大幅に改善しましたが、そのうちの一つに、生産の「月末集中」を平準化させるというものがありました。
この課題は長年の懸案でしたが、取り組んだ1年前ごろに
「夏休みの宿題をギリギリにやる人」には科学的な理由があった!
このようなテレビを見た、と家族から聞きました。

心理学評論家・植木理恵氏は、「ギリギリに行動して間に合うという経験は、すごい報酬系が促進されるというか、ものすごい快楽。素晴らしい快楽で、忘れられなくなる。1度でもそういう経験があると『間に合っちゃったもん』って」と、「夏休みの宿題をギリギリにやる人」の心理を解説。

家族は身内の宿題の話をしただけですが、私は同じ平準化としてとらえ、この課題は月次目標を日次に細分化することによって解決できました。
当時は脳に快楽がインプットされちゃうことの影響力を感じたものでした。

最近この月末集中が戻ってきそうな気配を感じましたので、「夏休みの宿題で脳にインプットされる快感ってこわいな、緻密なモニタリングをしなきゃ」と思いました。

このときに、この脳の報酬系を理解し対策を打つというプロセスはは何かに似ているな?
なんだろうとちょっと考え、禁煙と似ているなと気が付きました。
夏休みの宿題をためる人と喫煙者の相関関係を調べてみたいものです。

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